まず、最初に訪れたのは「メディチ家礼拝堂(Cappelle Medicee)」である。花の都フィレンツェ! まずはアレでしょ、大聖堂でしょ…。というところなんだけど。。
実は今回、週末にかけての旅程だったため、教会やら大聖堂やら美術館やら、拝観できる時間にかなり制約があった。あっち行ったらこっちに行けない、ここに行ったら間に合わない…。土曜日は午前のみ、日曜日は休館…なんてことがしばしば。事前のスケジュールを組むのも一苦労だった。
ということで、フィレンツェ=メディチ家でしょ、と少し強引な理由を持ち出し大聖堂へと逸る気持ちを落ち着かせ、まずはメディチ家礼拝堂へ。向かって左側に見えるのが入口。こうして見るとそうでもないけど、実に大きくどっしりしている。荘厳さに息をのみ、上を見上げれば見下ろされていた。有名なメディチ家の紋章。丸薬を表しているという説もあるようだが、メディチ家がフィレンツェの歴史舞台に登場したのち、医学者を輩出した形跡はなさそう。確かにイタリア語で「medicina=薬」なんだけれども。どうやら先祖をたどると関係しているらしい。
ドキドキしながらフィレンツェカードを見せ、入管と同時にボディチェック&持ち物チェック。
以後、いろいろなところでチェックはあったが、ここが一番念入りに、しっかりしていたような気がする。
空港並み…は大げさか。。
そして一番最初にカメラに収めたものは!
主役は中に入っている「骨」である。当時は、聖人の骨や所有物の一部を見たり触れたりすると、地獄での浄化年数を短縮できると信じられていたそうだ。「聖遺物」として、あちこちで見ることができた。
素晴らしいのは骨よりも、それを収めているケース(といって良いのかな?)。装飾も見事だし、1つひとつ違っていてそれだけで博物館ができそうだった。しかし、最初に見たのが骨とは…。いやいや、有難し、有難し。きっと浄化して頂けただろう。
メディチ家の家系図。上から下へではなく、下から上へ読む。この方が「栄えてるぅ」という感じがする。メディチ家の歴史とドラマをたどり始めたら私の人生終わってしまいそう。。なほど、すごい。これはほんの一部である。
さて、このメディチ家の礼拝堂とは、後述する「サン・ロレンツォ教会」に付属する「君主の礼拝堂」と「新聖具室」の2棟の総称をいう。ジョヴァンニ・デ・メディチの設計に基づき17世紀初頭に造られた歴代トスカーナ大公の墓所となっている。
骨やら家系図やらが飾られていたスペースから、少しばかり階段を上がったところに「君主の礼拝堂」がある。が、、、。なんと工事中。というより、リメイク中。この正面の両側に、それぞれ君主の像がまつられているのだがそれらは囲われていてほとんど見えなかった。
向かって右上に、辛うじてメディチの紋章が見える。その下には誰かがいる…。残念ながら、これが誰なのか分からない。
(調べによるとフェルディナンド1世かコジモ2世?)
ここにはメディチ家出身
歴代トスカーナ大公家の皆様が眠る予定だったそうだが
財政難ということもあって2名の像しか立たなかったようだ。
工事中、返す返すも残念だーーー。
あぁ、残念と上を見上げるとそこには別世界が。
素晴らしい天井画。今回の旅は本当に上を向くことが多かった。
オペラグラスを持参してきて正解。
多くがキリスト教にまつわる物語が描かれていて、しかも分かりやすい。
君主の礼拝堂は、壁面を大量の彩色大理石と半貴石で飾り立てている。
前面の様子を撮影できなくて本当に残念。
これらも全部石でできている。
こちらもである。写真だとその質感が伝えられずもどかしい。繊細にして緻密な仕事ぶり、見事な色使い…。これらが限られた小さなスペースではなく壁面や床に敷き詰められているのだ。すごすぎる。職人同士、腕を競いながら作業をしていたのかな。「オマエ、下手だな」とかなんとか言いながら。
フィレンツェ人は競うのが好きと本で読んだ。
これがメディチ家礼拝堂の全体模型である。